75歳と74歳の現役バリバリの人と、67歳の仲間が新しいことに挑戦しょうとしている。
それを支えるのは、還暦過ぎたボランティア。
この年齢になると「もう」とあきらめ、経済的にも、精神的のも今までの蓄えで生活している人が多い。
でも、彼らは新しいことに情熱を持っていて「まだ」の姿勢で臨んでいる。
高齢化社会、「まだ」の高齢者がふえると、経験が豊かなだけに未来は明るくなる。
小椋桂の歌を聞きながら感じた「もう」と「まだ」である。
それを支えるのは、還暦過ぎたボランティア。
この年齢になると「もう」とあきらめ、経済的にも、精神的のも今までの蓄えで生活している人が多い。
でも、彼らは新しいことに情熱を持っていて「まだ」の姿勢で臨んでいる。
高齢化社会、「まだ」の高齢者がふえると、経験が豊かなだけに未来は明るくなる。
小椋桂の歌を聞きながら感じた「もう」と「まだ」である。
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友人は1昨年末がんの手術をうけた。。
そのショックでご主人が認知症になり、仕事もやめた。
まだ無理の利かない彼女に代わり娘さんが家事を引き受けた。
話を聞いただけで気の毒な状況。
でも、彼女は前向きで、体力が戻った時の自分の生き方の計画をもっている。
我々の年になると、これから予期せぬ困難が待ち受けている。
遅かれ早かれ誰もが通らなければならない道。
その時彼女のように前向きでいられるかどうか、自信がない。
そのショックでご主人が認知症になり、仕事もやめた。
まだ無理の利かない彼女に代わり娘さんが家事を引き受けた。
話を聞いただけで気の毒な状況。
でも、彼女は前向きで、体力が戻った時の自分の生き方の計画をもっている。
我々の年になると、これから予期せぬ困難が待ち受けている。
遅かれ早かれ誰もが通らなければならない道。
その時彼女のように前向きでいられるかどうか、自信がない。
若者が3人遊びに来た。若い建築士夫婦とその友人。
奥様以外は、10数年の付き合い。
初めての軽井沢でしかも冬。どこを見せるか迷うところだが彼らのリクエストで石の教会と吉村順三の別荘、脇田美術館、そのほかいろいろの建物など。
冬の軽井沢は木が落ち別荘をじっくりとみることができた。
石の教会は近くなので何度も行ったことがあるが彼の視点で見る教会は違ったものに思えた。冬の吉村順三の別荘は誰もいなくて思い切り見ることができた。帰りに彼の設計の脇田美術館のも覗け、若者は充分満足であった。わたしも今までと違う軽井沢のよさを知った。
高知育ちの若者にとって東京は大きな刺激を受けた場所。
軽井沢もそれ以上に大きな刺激となっただろう。
私の知っている10代の彼は挫折の時代。20代は学びの時代。
そして30才の彼は私にとっても頼もしい若者になっていた。
10代のとき私が指導する立場だったのが、今回いろいろと教えてもらった。
その成長が私にとってすがすがしくうれしい。
3人は、アウトレットも、銀座通りも無縁で帰っていった。
彼女の家は軽井沢の万平通を奥に入ったところに自然に調和するようにひっそりと建っている。
軽井沢の木立の自然と寄ってくる小鳥やリスを愛し、一人で住んでいる。
車に乗らない彼女はどこまでも歩き、バスで生活している。
彼女の家の周囲が売りに出され、3000坪の土地が19軒分に分譲された。
木は切られ、さながらモデルハウスの展示場のようにさまざまな家が建ち軽井沢らしさはどこにもない。
その変わりように彼女は涙して話してくれた。
「寒さや不便耐え、生活しているのはこの軽井沢の自然を愛しているからなのに、どうして・・・」
旧軽の万平通りの別荘というだけで充分にブランド。
何千万の大金をはたける人だけが住める特権。でもそれで果たして軽井沢に住む価値があるのだろうか。
この人達も住み始めて周囲を見渡して自分たちがいかにおろかな事をしたかきずいて欲しい。
その近くにはボウ建築や介護を仕事とする会社のプールつきの広大な別荘は建ちつつあったり建っている。
本来軽井沢は質素に暮らす場所であったのに。